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「すべてはあなたが選んでいる」とは
「すべてはあなたが選んでいる」 は、私たちのコーチングの核を成している考えのひとつです。
言葉通りに解釈すると、自分の身に起きること、自分が手にしているもの、自分の今の人生の状況は、自分の選択の結果であるということです。たとえ、それが自分にとって望ましくない結果や状況であっても、それらは「自分が選んでいる」ということになります。
たとえば、朝、通勤のために駅に向かうとしましょう。
今日は大事な会議があるので、いつもより少し急ぎ足。なのに、そんなときに限って信号の接続が悪く、やっと駅に着くと今度は、いつもはいない学生の団体客が改札付近をふさいでいる。その間をなんとかすり抜け、ホームへの階段をダッシュで駆け上がったものの、無情にも目の前でドアが閉まり、タッチの差で乗ることができず…次の電車では物理的に間に合わず、大事な会議への遅刻が確定。
確かに普段とは違った状況であるため、環境や他者のせいで間に合わなかったと考えることもできそうです。そのように考えることで、その場は多少気が晴れるかもしれません。しかし、それではこの先も同様のことが繰り返し起こる可能性が高いのは言うまでもありません。
ここでもし、「この結果は自分が選んだものだ」という視点に立てば、読みが甘かった自分や、ギリギリの時間に起床した自分に目を向け、早く起きたり、バタバタしたりしないように前日の夜の過ごし方を変えようということにつながります。
そういう意味では、「すべてはあなたが選んでいる」とは、責任を自分自身に引き寄せる、という風に解釈することもできます。
ただ、人生や仕事ではいろいろなことが起こります。中には「自分が選んだ」とは到底思えないことや理不尽とさえ思うこともあるでしょう。
これも本当に自分が選んだことなのか…
たとえば、自分からは遠いところで起こる金融危機のような問題によって会社の業績が悪化し、自分自身の役割や待遇が変わってしまったとき。あるいは、自分では希望していない異動を言い渡され、自分の未来が閉ざされたように感じるとき 。
自分の身に起きた出来事や現実が、自分にはどうすることもできないことだと感じる度合いが高まれば高まるほど、それを「自分の責任に引き寄せる」のは難しくなるのは、ある意味当然です。にもかかわらず、「すべてはあなたが選んでいる」と言われてもなかなかしんどいものがあります。
こうした文字通りの「自分が選ぶ」では解釈しきれない、受け入れきれないことに直面したときにも「すべてはあなたが選んでいる」を体現するには、どういう方向性があるのでしょうか。
私の結論を先に言ってしまえば、起きたことや今の現実に対し、それがたとえ自分にとって厳しいものであったとしても、「これ以外の選択肢はそもそもなかった」ということに思い至ることです。
そうは言うものの、望んでいない結果や受け入れがたい現実を目の当たりにすると、私たちは、そうではなかった可能性のことを考えがちです。
「もしこうだったら、今頃はこうなっていたはずだ」
そうした「仮定の世界」を想像して、「現実の世界」を受け入れなかったり、見ないようにしたりします。これは必ずしも悪いことではなく、厳しい現実に対して自分自身を保持するための必要なプロセスであり、私たちに備わっている通常の反応でもあります。
加えて、私たちは分からない状態で居続けることが苦手なため、結果と原因の分かりやすい結びつきによく目が行きます。そして、その因果の構造をもとに、
もし電車のドアが閉まる前にギリギリ駆け込めていたら…
この異動さえなかったら…
と、「仮定の世界」の想像を膨らませていきます。
ただ、仮にそうだったとして、飛び乗った電車で自分がどういう出来事に遭遇するかは分かりません。元の部署で平穏な日々が続いていた保証もありません。
「仮定の世界」があったらいいなと思い、実は当てにならない因果のシミュレーションを重ねる。このプロセスから離れ、「現実の世界」しか起こり得なかったのだという境地に至るには、どうすればいいか。
そのヒントとなりそうなのが「現実は偶然で構成されている」という考え方です。
現実、そして私たちをつくり出しているもの
『「偶然」はどのようにしてあなたをつくるのか』という本の中に、「小倉の幸運」という話が出てきます。実は、長崎に落とされた原子爆弾の当初の標的は、長崎ではなく小倉でした。爆撃機が小倉上空に差し掛かったとき、雲がかかり目標地点を視認することができず、次の標的都市であった長崎に向かったのです。
長崎で多くの人命が失われた悲劇を「偶然」の一例とするのは心苦しいところもありますが、まさにほんのささいな偶然によって多くの人の運命が変わったのです。しかし当時、小倉市民は自分たちの現状が紙一重の積み重ねの上に成り立っていたとは思いもしなかったはずです。
この「小倉の幸運」は、「知らず知らずのうちに難を逃れていることの幸運」を意味しています。私たちが自分自身の現実を認識する際も同様です。「小倉の幸運」のように、私たちが認識し得ないところで発生している出来事があり、その偶然の積み重ねによって私たちの今がつくられていることを否定することはできないでしょう。
加えて、私たち自身の存在も些細な出来事の積み重ねです。親となる二人が出会い、億を超える細胞のたったひとつの結びつきで誕生する。これを数世代、十数世代繰り返した先、奇跡的な出来事の連続の先に私たちは存在しています。
このように、今の現実が起こっているのは、途方もない偶然のかけ合わせであることを考えると、意図してコントロールしきることなどできない、ましてや想像した仮定の世界などつくりようもないということが見えてきます。
これまでの歴史で起こったこと、起こらなかったこと、それらすべての組み合わせによって今がある。そのことに目を向けた時、私たちは目にしている現実や自分の存在が、代替されないものであることに気づきます。
自分自身の身に起きていることや自分が手にしている現実は、これ以外にはなかった。だから、今の現実から、今の自分から始めると決める。
そのとき、「すべてはあなたが選んでいる」を体現していることになるのだと思います。
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【参考文献】
・ブライアン・クラークス(著)、『「偶然」はどのようにしてあなたをつくるのか』、東洋経済新報社、2025年
・伊藤守(著)、『今日を楽しむための100の言葉』、 ディスカヴァー・トゥエンティワン、1993年
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