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「意味」という檻からの解放

最近、私の価値観が揺さぶられるような映画をたて続けに観ました。
『ある一生』、『トレイン・ドリームズ』、『オクトパスの神秘』、『愛を耕すひと』

ジャンルも舞台も描かれている人々も違う作品です。けれども観終わったあとに、どこか共通する不思議な感覚が残りました。

どの作品も、誰かが英雄のように成功するわけでも、世界を大きく変えるわけでもありません。出来事は起こるものの、それに特別な意味を与えるような展開になるわけでもなく、ただ、山や森、海、荒野に生きる一人の人物の人生を淡々と描いていくような映画です。

それなのになぜか、心が深く静かに揺さぶられる。そして私は観ているあいだ何度も、言葉にしづらい安堵のようなものも感じました。

大きな成功も、勝利も、辻褄が合う結末も、わかりやすいハッピーエンドもない。にもかかわらず、そこには一つの人生の重みがあり、世界の豊かさがあり、存在していることそのものの深さがありました。

そして、私の中に一つの問いが浮かんできました。
「意味あることとは、本当はどういうことなのか?」

何にでも意味を求めがちな現代において、この映画たちは、私にそんな問いを投げかけてきているように思いました。

「意味」という檻

「意味があること」
皆さんは、そう言われてどんなことを想像するでしょうか。

何かを成し遂げること。
誰かの役に立つこと。
組織に貢献すること。
成長すること。
期待に応えること。
社会にインパクトを与えること。

浮かんできた言葉を並べると、それはどこか、自分や誰かの利益、成果や貢献と結びついたものとして現れてくるように思いました。もちろん、これらは大切なことです。しかし、映画を観ながら、私は問われていたのだと思います。本当にそれだけが、「意味あること」なのか、と。

私たちは、たくさんの「意味がある」とされるものに囲まれています。努力、挑戦、謙虚さ、貢献、自分らしさ、成長。どれも大切なことばかりです。けれど、それらがあまりに当たり前のこととして目の前に並ぶとき、いつの間にか私たちは、誰かから与えられた「意味あるもの」という檻の中に囚われてしまっているのではないか。そんな感覚が湧いてきます。

そしていつしか、自ら「意味あること」を感じ取り、生み出すのではなく、「意味があるとされていること」から外れていないかを気にして生きるようになっているのかもしれません。

あれらの映画が静かに揺さぶってきたのは、まさにその部分でした。

世界に開かれているということ

誰かとともに生きること。
自然に触れること。
失ったものを抱えながら日々を続けること。
言葉にならない悲しみや愛を持ち続けること。
何者かにならなくても、この世界の中に存在していること。

あれらの映画が描いていたのは、成果や評価や成長といった言葉では、うまくとらえきれないものです。けれど映画の中で描かれるそれらの営みに、私はたしかに存在の重さと、人生の豊かさを感じていました。

映画の登場人物たちは、何かを雄弁に語っていたわけではありません。けれど、彼らが語っていない沈黙の中に、確かに世界との関わりがありました。その姿に触れたとき、私の中にあった「意味」のとらえ方が、静かに揺さぶられていくのを感じたのです。

人は、世界と関わっている。そのこと自体の中に、すでに深い意味がある。
映画を観ながら感じた安堵は、自分が閉じ込められていた「意味」の檻の外にも、意味のある世界が広がっていること、そして私たちが思っている以上に世界に開かれうることを静かに思い出させてくれる感覚だったのかもしれません。

「本当」はどこにあるのか

そんなことを考えていた頃、もう一つ、私の視点を揺らす出来事がありました。

ある日、弊社ファウンダーを交えて、「自分にとって本当のこと」について話していました。
そのときの私は、「自分にとって本当のこと」とは、自分の内面の深いところへ降りていくことなのだと思っていました。普段は言葉にしない感情、気づかないふりをしていた違和感、まだ形になっていない願い。そうしたものに触れることに価値があるのだと。

けれど、ファウンダーは少し違う角度から言いました。
「本当のことって、思考を深めていった先にだけあるのかな」
「アイスクリームを食べて、美味しいと思う。それだって本当なんじゃないの」

その言葉に、私はまたしても視点を揺らされました。

そして彼は、もう一つの話をしました。
かつて、サッカーレジェンドのメッシが大きな試合でPK(ペナルティキック)を外して涙を流していた。その涙にも、本当があるような気がする、と。

とてつもなく大きなものに、本気で、必死で挑んだ人にしか流せない涙。勝ったから意味があるのではない。成功したから本当なのでもない。自分のすべてを賭け、自分で決めたことに偽ることなく向き合い続けたことにも、その人にしか触れられない本当があるのではないか。

その話を聞きながら、私はさらに深く揺さぶられていました。
「本当」について語られたことと、揺れ始めた「意味」が、私の中で重なっていきました。

「意味」も「本当」も、自分の内面を深く掘り下げた先にだけあるものではない。誰かから与えられた正しさの中にあるものでもない。世界に触れ、心が動き、ときに大きなものに身を投じる。その営みの中で、静かに立ち上がってくるものなのかもしれないと。

生きることに向かう

私たちは、与えられた意味の中で生きることもできます。周囲が正しいとする役割を果たし、期待に応え、認められることで、自分の存在を確かめようとする。そこにいれば、自分が何を大切にしているのかを問わなくてもよい。意味は、すでに誰かによって用意されているからです。

けれど、その檻の中で、私たちは本当に生きていると言えるのでしょうか。
与えられた意味の中で、静かに生を営むのか。
そこから一歩踏み出し、新たな可能性に自分をひらくのか。

“Get busy living”
生きることに向かう

映画「ショーシャンクの空に」で、囚われの檻から解放され、自由を得た主人公に向けられた最後のナレーションを私は思い出します。

世界は、私たちが思っているよりも美しい。
人生は、私たちが思っているよりも豊かだ。
今日登場した映画たちは、そう呼びかけてくる映画でもありました。

あなたは今、何に心を揺さぶられていますか。
そして、この世界と、どのように関わろうとしていますか。

その問いの向こうに、可能性に開かれた世界が広がっているかもしれません。

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