Coach's VIEW は、コーチ・エィのエグゼクティブコーチによるビジネスコラムです。最新のコーチング情報やコーチングに関するリサーチ結果、海外文献や書籍等の紹介を通じて、組織開発やリーダー開発など、グローバルビジネスを加速するヒントを提供しています。
「卒業しろ」と言う前に、卒業証書を渡していますか
「いつまでサラリーマンをやっているんだ。いいかげん経営者になってくれ」
ある大手製造業の創業家出身の経営者が、新任執行役員となったAさんに放った言葉です。
Aさんは、この一言で目が覚めたのだそうです。
強烈な言葉には、ときに人を動かす力があります。
けれど、私は素直に頷ききれずにいます。
エグゼクティブコーチとして数多くの新任役員の方々と向き合う中で、似たような言葉がけのちょっと違った「その後」をしばしば耳にしているからです。
セッションで漏れた本音
「もっと全体最適で考えてほしい」
「前例にない視点を持ってほしい」
「もっとチャレンジしてほしい」
別のある企業の新任執行役員Bさんは、就任から数ヶ月経ったセッションで、社長からそう言われた時のことを話す中で、こうつぶやきました。
「正直、複雑な気持ちでした」
「複雑、というのは?」
しばらく沈黙が続きました。言葉を選んでいるのが、画面越しにも分かりました。
「……昨日まで、目の前の数字を上げろとしか言ってこなかったのに。急に手のひらを返したように、視座を上げろと言われても。調子がいいな、とは思いました」
そう言ってしまってから、ご自身でも驚いたような顔をされていました。おそらく、それまで誰にも、そしてご自身の中でさえも、言葉にしたことのない本音だったのだと思います。
変えろと言われたのは「内面」、変わっていないのは「状況」
「経営者になれ」も「全体最適で考えてほしい」も、要求しているのは本人の内面――視座、覚悟、思考の幅――の変化です。
一方で、本人を取り巻く状況、たとえば与えられる情報の範囲、意思決定の権限、そして何より評価される基準は、変わっていないことが案外少なくありません。数字は相変わらず四半期で詰められ、前例のない提案は「本当に大丈夫か」と保守的に検証され、いわんや失敗すれば責任を問われる…。
人は、評価される行動をとる生き物です。実際に評価され、生き残る行動が「前例通りに、目の前の数字を上げること」であれば、そちらに最適化するのはむしろ合理的な反応でしょう。Bさんの「調子がいいな」という一言は、皮肉ではなく、極めて正確な現状分析だったのだと、今でも思います。
「内面」を変えろと迫りながら、「状況」は据え置いたまま。
これは、実は私たちが起こしがちな現象です。
社会心理学に「根本的な帰属の誤り」という概念があります。1977年に心理学者リー・ロスが提唱したもので、他者の行動の原因を考えるとき、状況の影響を軽視し、性格や気質といった内的要因を過大に見積もってしまう、という人間に共通する認知の癖を指します(※1)。
ゆえに私たちは、相手に望ましい変化や行動が起きないとき、その原因や改善を過度に相手の内的要因に求めてしまうのです。さらに、この構造は「この人には、そもそも期待できない」と早々に結論づけてしまうことにもつながりかねません。
「あの人たちには無理」という、便利な説明
海外拠点でお会いする日本人マネジメントサイドから、たとえば米国などで、こんな言葉をよく耳にします。
「米国人はジョブディスクリプションがはっきりしているので、部門のことしか考えられない。日本人のように全社視点で仕事を俯瞰することができない」
正直に告白すると、私自身、海外拠点長の頃、メンバーの動き方について、無意識のうちに「彼らはそういう文化だから」と一括りにして、思考を止めてしまったことがなかったか…
そう問われると、言葉に詰まります。
「文化」という相手の特性を持ち出し、「あの人たちには、そもそも主体的に俯瞰する視点を期待できない」と結論づける。この説明は、話す側にとってとても都合がよいものです。なぜなら、それが事実だとすれば、自分自身が日頃どう関わっているか、どのような環境を提供しているのかを、検証する必要がないからです。
ですが、この「アメリカ人は、ジョブディスクリプション思考だから」という説明こそ、まさに先ほどの「根本的な帰属の誤り」の罠にはまっている証拠ではないでしょうか。
心理学者クルト・レヴィンは、人の行動を「B=f(P・E)」という式で表しました。
行動(Behavior)は、性格や特性(Person)と、置かれた環境(Environment)との相互作用で決まる、という考え方です(※2)。
同じ人でも、「環境(E)」が変われば、「行動(B)」は変わる可能性がある。「性格や特性(P)」だけを見て人を評価したり、そこに原因を求めがちな私たちに、「環境」を見直す余地が残されていることを教えてくれます。
ジョブディスクリプションが明確な組織で働く人々が部門最適に留まるのは、文化のせいというより、「あなたの仕事はここまで」と線を引かれ、情報が隔離され、その外に出た提案が評価されない「環境」に置かれてきたから、と考えることもできます。同じ社員でも、日々の対話の中で違う視点に触れたり、部門を超えた提案が実際に意思決定に反映される経験を重ねれば、俯瞰する視点は自然と育っていくのではないでしょうか。
主体性やリーダーシップは、特性として備わっているかどうかだけではなく、むしろ日頃の関わりの中でどれだけそうした新しい環境に「招かれているか」によって引き出される力なのだと、私は考えています。
卒業の鍵は、言葉ではなく関わりの中にある
セッションで本音を漏らした執行役員Bさんに、その後、私はこう尋ねました。
「では、あなたが視座を上げた瞬間、それを歓迎し、評価し、実際に任せる準備が、会社の側にはあると思いますか」
長い沈黙のあと、返ってきたのは「わかりません」というつぶやきでした。
この「わかりません」を、あなたの部下やメンバーにも思わせていないでしょうか。
「サラリーマンを卒業して、経営者になれ」と迫った冒頭の創業家経営者の言葉が、結果としてAさんに機能したのは、その前後の関わりを通して、権限や情報、任せる範囲といった新たな「環境」が卒業証書として、実際に手渡されていたからでしょう。
言葉は、あくまで入口に過ぎません。
日々の関わりの中で、その人を卒業させる環境を、あなたはどれだけ渡せているでしょうか。
言葉で卒業を告げる前に、卒業証書を渡す。
順番を間違えなければ、見える景色は変わるはずです。
――もっとも、これを書いている私自身、まだ渡し忘れている卒業証書がいくつあるかと思うと…じっとしていられなくなる自分がいます。
この記事を周りの方へシェアしませんか?
【参考資料】
※1 Ross, L. (1977). “The intuitive psychologist and his shortcomings: Distortions in the attribution process.” Advances in Experimental Social Psychology, 10, 173-220.
※2 Lewin, K. (1936). “Principles of Topological Psychology”. New York: McGraw-Hill.
※営利、非営利、イントラネットを問わず、本記事を許可なく複製、転用、販売など二次利用することを禁じます。転載、その他の利用のご希望がある場合は、編集部までお問い合わせください。

